「『がんばったね』と言われたい病」が治りません。
こんにちは。
今日は自分のめんどくさいメンタルの話を書きます。
(面倒な話かつ長いので息抜きにラテアートを置いときます)
1ヶ月くらい前、誰かに「がんばったね」と言って欲しくてたまらない時期がありました。
大して頑張ってない事は分かってるんです。夫は早く帰ってきて家事手伝ってくれる。娘は保育園に行くので日中は息子とゆっくりできる。乾燥機あるから洗濯物も干さないで済む。子供達も健康。ハッピーな毎日。
もっと大変な思いをしている人はたくさんいる。と分かってるのに。
なのに、無性に「がんばってるね」と言われたかったんです。誰かに努力していると認めて欲しかったんです。承認欲求モンスターです。
思えば、大学生の時も同じような気持ちになった事がありました。研究室に配属されて毎日実験していた頃、「誰かに認めてもらわないと気持ちが維持できない」と日々感じてました。
その頃の解決策としては「脳内に死んだおばあちゃんを呼び出して『大丈夫だよ、充分頑張ってるよ。おばあちゃんが見てるよ』と語りかけてもらう」という、今考えるとかなりヤバい事をやってました。自分を無条件に褒めてくれる人が故人しか浮かばなかったんですね。
今回も「おばあちゃんメソッド」を使ってもいいんですけど、亡くなってから30年以上経過してて実際あんまり覚えてないおばあちゃんに頼ってるのもそろそろ流石にヤバいな、と思うのでやってません。
「がんばってるね」と言って欲しくてたまらなくなって遂にしくしく泣いてしまい、それを見た夫はもっとたくさん家事をやってくれるようになりました。申し訳ない…すまない…。
自分がこういう「誰かに認めてほしい」という思考に陥るのは、自己肯定感が低いためなのではないかと思います。自分で自分の努力を認める事が出来ず、他人に評価されないと自信が持てなくて落ち着かない。
(2)「自己肯定感」の低さを補うために「承認欲求」が強くなる
自信のない自分を少しでも知って欲しい、認めて欲しいという潜在的な欲求が強くなり、人の話を聞かないで自分のことばかり話してしまったり。また、自分の正しさを無理やりにでも認めさせようとしてしまうようなことがあることも。他者に嫌な思いをさせてしまうことも増え、後から自己嫌悪したりで、人と会うのが億劫に。
うーん、まさに自分の事だな。
友人や家族と会って話をするとかなりこの「認めろ」気分が和らぐことがわかりました。子供とずっと家にこもってるのがよくないみたいです。あと寝不足。よく寝られた日は多少すっきりして「他人の評価とかどうでもいいな!やることやるか!」という気持ちになれます。心身共に健康でいることが一番の解消法のようです。
(面倒なメンタルの話が続いているので息抜きとしてハンバーグを置いときます)
ところで自己肯定感の低さは、生育環境が影響するそうです。
自己肯定感が低い原因をまとめると、子供時代に親や身近な人から
• 虐待を受けていた事がある
• 否定される事が多かった
• あまり認められなかった(褒められなかった)
• 自分で選択する機会が少なかった
• 過保護に育てられた
• 子供時代に親が話をあまり聞いてくれなかった
が挙げられます。
虐待を受けたことはありませんが、下3点は自分の生育環境に当てはまる気がします。いろいろ根に持ってるぞ。
まあ自分の事はさておき、自分の子供たちは自己肯定感をしっかり高めて欲しいと思っています。自己肯定感が低いといい事ないと思うので。
上記と逆の事、つまり子供の意見を否定する事なく受け止め、子供自身が選びやり遂げるという経験を持たせてあげれば自己肯定感を高めることができるはずです。どうか自分を信じてタフにこの世を生き抜いていける人になってくれー。